お知らせ
2019/03/17
講演会
【3月17日】半蔵門ミュージアム講演会レポート
テーマ『お釈迦さまの死と涅槃図』
2019年3月17日14時より、帝塚山大学教授の西山厚先生(4月1日より当館館長に就任)を講師にお迎えし、講演会『お釈迦さまの死と涅槃図』を開催いたしました。
講演会の内容
●お釈迦さまの生涯
お釈迦さまは一説に、紀元前463年に生まれ、紀元前383年に80歳で亡くなりました。その生涯に大事なことが4つありました。誕生、成道、初転法輪、涅槃です。成道は悟ったこと。初転法輪は初めて説法したこと。涅槃は亡くなったことですが、悟りを完成させた境地という意味にも使われる言葉です。
摩耶夫人(マーヤー)は、お釈迦さまを生んだあと、7日で亡くなったので、お釈迦さまはお母さんを知りません。お母さんを亡くしたお釈迦さまの深い悲しみと苦しみから、やがて仏教は生まれることになります。
●涅槃図
お釈迦さまが亡くなった様子を描いた絵を涅槃図といいます。涅槃図には、お釈迦さまの前で倒れているお坊さんが描かれています。阿難(アーナンダ)です。阿難は、いつもお釈迦さまのそばにいて、お話を聞いていたのに、お釈迦さまが亡くなった時に、まだ悟りを開けていませんでした。それは阿難が優しすぎたからです。
涅槃図では、お釈迦さまの足もとに老女が描かれていることも多いです。亡くなったお釈迦さまを囲んでいたのは男の人ばかりで、女の人が近づけない状況を見た阿難は、人を分けて道をつくり、女の人も最前列に行けるようにしてあげました。
そのとき前にやって来たひとりの老女が涙をこぼすと、金色のお釈迦さまの体が、涙が落ちた箇所だけ汚れてしまいました。あとから来た大迦葉(お釈迦さまの後継者になった弟子)に、管理不十分と阿難は散々に叱られてしまいます。足もとの老女はこの時の老女なのかもしれません。
涅槃図と対面した際には、絵の上方にも目を向ける必要があります。わが子に最後にもう一度会おうと、摩耶夫人が雲に乗って天から降りて来る様子が描かれているからです。しかし、摩耶夫人が地上に着いた時、お釈迦さまはもう亡くなっていました。
お釈迦さまの周囲では、多くの動物たちも悲しんでいます。傍らに立つ娑羅双樹も、悲しみのあまり、時ならぬ白い花を咲かせ、お釈迦さまの上に花びらを降らせました。生きとし生けるものをやさしく見守って日々を送り、生きとし生けるものにやさしく見守られてこの世を去る。心やすらかに満たされて生き、心やすらかに満たされて死ぬ。それが理想の生き方、理想の亡くなり方だと思います。涅槃図は、理想の死、やすらかな死を描いているのです。
●明恵上人の涅槃講式
お釈迦さまが亡くなった2月15日に、涅槃図を掛けておこなう法要を涅槃会といいます。涅槃会がさかんにおこなわれるきっかけをつくったのは、鎌倉時代の明恵上人です。
1204年、今から815年前の2月15日、明恵上人は初めて涅槃会をおこないました。その時、お釈迦さまが亡くなる時の様子を描いた文章を、涅槃像の前で読み上げましたが、悲しみのあまり、途中で気を失ってしまいます。明恵上人は、それほどまでにお釈迦さまを慕った人でした。
涅槃講式は、お迦さまが亡くなる時の様子を描いた明恵上人の名文です。お釈迦さまはなぜ生まれ、なぜ亡くなったのか、についても、経典を引用しながら説明しています。お釈迦さまは永遠の命を持っているのに、みんなを悲しませるために亡くなったのだそうです。悲しみの力こそ、悟りの世界、幸せの世界へ向かおうとする原動力になるからです。みんなを幸せの世界に導くため、お釈迦さまはこの世を去った。明恵上人はそんなふうに考えていました。