お知らせ
2018/12/09
講演会
【12月9日】半蔵門ミュージアム講演会レポート
テーマ『 日本の高僧絵伝~役行者と親鸞聖人 』
12月9日14時より、半蔵門ミュージアム3階ホールにて、龍谷大学 龍谷ミュージアム副館長の石川知彦先生を講師にお迎えし、講演会『日本の高僧絵伝~役行者と親鸞聖人~』を開催いたしました。
講演会の内容
●日本の高僧の伝記絵
中国では古くから高僧の伝記が成立し、519年に『高僧伝』がつくられました。日本における最古の高僧伝記集は、1251年に宗性が著した『日本高僧伝要文抄』です。1322年には虎関師錬が『元亨釈書』を編纂し、400余名におよぶ僧俗の伝記を収めました。また、1702年における師蛮の『本朝高僧伝』は、日本の高僧伝記の集大成と位置づけられます。個別の高僧に関する伝記も記され、奈良時代には聖徳太子や行基、鑑真らの伝記がまとめられました。
一方、仏伝の伝来の影響を受け、飛鳥時代に法隆寺玉虫厨子にジャータカ(前世譚)が絵画化され、奈良時代には経文と仏伝図を組み合わせた「絵因果経」が制作されます。そして8世紀後半には、日本における高僧伝絵の最初として、聖徳太子の絵伝が四天王寺で成立しました。聖徳太子は「日本の釈尊」と崇められる格別の存在だったのです。
平安時代になると弘法大師(空海)を含む真言八祖の行状絵が描かれ、鎌倉時代には菅原道真、玄奘三蔵、法然、一遍など、絵伝(絵巻)制作の隆盛をみました。掛幅本絵伝も含め、各宗派により高僧絵伝が盛んに制作されたのです。
●役行者と伝記絵
修験道の成立には、日本古来の山岳信仰(自然崇拝)、仏教とりわけ密教の世界観、道教の神仙思想という三要素があると考えられます。修験道の祖として仰がれている役行者(~699? 701?)は、大峯山や葛城山を中心に活躍した山林修行者・呪術師で、1100年遠忌の1799年に光格天皇から「神変大菩薩」の諡号を授けられました。
現存する役行者の伝記絵はすべて絵巻で、これまで6本が知られており、最も古いものは17世紀半ばの埼玉・多武峯神社1巻本です。半蔵門ミュージアム1巻本は、多武峯本と同じく絵7段と詞8段で構成され、内容もほぼ同じです。役行者の姿が類似しており、構図を左右反転させているところや、横に拡張させている部分があります。詞の料紙についても、金泥による草花を下絵として、流麗な能筆で記される点で共通しています。半蔵門ミュージアム本の制作年代は、多武峯本とほぼ同時期か17世紀後半と想定されます。すなわち、現存で2番目に古い遺品ということになります。
●親鸞聖人と伝記絵
親鸞(1173~1263)は、比叡山で修行を積んだ後、山を降りて法然の弟子となり、のちに浄土真宗の開祖として仰がれます。師である法然の『選択本願念仏集』の書写を許され、1224年には『教行信証』を著して専修念仏思想を深めていきます。
その親鸞聖人についての伝記絵は、曽孫の覚如により創始され、覚如は1343年に「康永本」4巻も制作しました。やがて、「康永本」の絵のみを抽出した、4幅本絵伝が描かれます。最古の遺品には、応永26(1419)年の制作年と筆者名が裏書に記されています。蓮如以降、本願寺はほぼ同じ絵柄の4幅本絵伝を、現代まで全国の末寺に下付し続けているのです。
半蔵門ミュージアム本は裏書が失われているため、制作年代などは不明ですが、画絹の質や明快な賦彩から江戸時代に降るでしょう。描かれている人物の数が増加している点も、制作年代が降る要素となります。ただ、素槍霞の賦彩に注目すると、17世紀半ば以降の濃紺ではなく、淡い群青が用いられていますので、江戸時代初期頃の制作と考えられます。