講演会/イベント

2026/08/24

講演会レポート

【7月5日】「涅槃図の世界」 吉田 典代 氏(半蔵門ミュージアム上席客員研究員)

2026年7月5日14時より、当館上席客員研究員 吉田 典代 氏による講演会「涅槃図の世界」を開催いたしました。


20260705_3PT6229.jpg

講演会の内容

⑴涅槃図とは

 涅槃図とは、釈尊の入滅のようすを描いた仏画です。涅槃は梵語ニルヴァーナの音写で、意味は「(火が)消えること」だそうです。釈尊は35歳で煩悩の火が消え、涅槃=悟りの境地に入りました。そして80歳で生命の火が消え、「完全な涅槃」を迎えたのです。日本では2月15日(旧暦)を釈尊入滅の日と考え、涅槃図を掛けて釈尊の遺徳を偲ぶ()(はん)()が行われてきました。



⑵小乗経典にみる涅槃の物語とガンダーラの涅槃図

 小乗仏教の涅槃経典によれば、最後の布教の旅に出た釈尊は、在家信者チュンダ((じゅん)())が供養した食事が原因で、重い病に陥りました。ようやくクシナガラにたどり着き、2本並んだサーラ樹(沙羅(さら)(そう)(じゅ))の間に、頭を北に向け、右を下にして横たわります。そこに異教徒のスバドラが来て教えを請い、最後の弟子となりました。その夜半、釈尊は入滅されたのでした。

別のところで活動していた弟子のカーシャパ(()(しょう))は、クシナガラへ向かう途次、外道(アージーヴィカ教)の修行者と出会い、師の入滅を知らされます。カーシャパが到着し、釈尊の足に拝礼すると、自然に()()の火が燃え上がったといいます。

 このような物語をふまえて、ガンダーラでは仏伝図中の1コマとして、涅槃図がさかんに製作されました。釈尊は寝台上で向かって左に頭を向け、右を下にして横たわっています。古代インドでは、右を下に横臥するのは休息のポーズだそうです。死者は仰臥し、頭を南に向ける風習があったそうで、それとは異なる釈尊のポーズは、これがただの死ではないことを示しています。

 周囲には、手を挙げて悲しみのポーズをとる(しゅう)(こん)(ごう)(じん)や、静かに坐すスバドラ。くずおれる仏弟子アーナンダ(()(なん))や、助け起こすアヌルダ(()()()())を刻む例もあります。カーシャパは釈尊の足に触れる姿、または外道の修行者と対話する姿などで表されました。



⑶中国への伝来と大乗涅槃経

 涅槃経典はやがて中国に伝来し、5世紀に漢訳が始まり、6世紀には造像も行われています。しかし初期の涅槃図のなかには、釈尊が仰臥していたり、頭を向かって右に向けたりしている作品もあり、インドの風習がよく理解されていなかったことをうかがわせます。6世紀末ころには横臥するようになりますが、その一方で()()()()(スバドラ)が火に包まれる図像が用いられており、新たに大乗涅槃経の要素が加わっていることが知られます。

紀元前後に大乗仏教が成立すると、釈尊の入滅に関しても、大乗仏教の涅槃経が編纂されました。その一つ『(だい)(はつ)()(はん)(ぎょう)(こう)(ぶん)』では、須跋陀羅は師の入滅に耐えられず、釈尊よりも先に自ら火に包まれて入滅しています。また『()()()()経』では、(とう)()(てん)から駆けつけた生母・()()()(にん)のために釈尊が神通力で身を起こし、教えを説いています。

唐代にはこうした大乗涅槃経の要素を取り入れ、涅槃図に摩耶夫人が登場するようになりました。また涅槃の場に集う者として、菩薩や異形の神々((はち)()(しゅう)など)、さらに動物も加えられました。



⑷日本の涅槃図

 日本において、涅槃を表現した現存最古の作例は、法隆寺五重塔に設けられた()(はん)(ぞう)()です。奈良時代初頭に製作された彫刻作品で、悲嘆する弟子たちの表情が写実的に刻まれています。ただ日本では、涅槃はもっぱら絵画で表されました。(こん)(ごう)()()の仏涅槃図は平安時代後期の作ですが、釈尊が両手を体につけて仰臥しており、むしろ中国の古い時代の特徴を示しています。一方、()(しょう)(どう)()(少年の菩薩)や山盛りの飯を捧げる純陀、八部衆の一部など、大乗涅槃経特有の人物が見出されます。上空には摩耶夫人が描かれています。



⑸宋の涅槃図の到来と受容

 鎌倉時代になると、中国・宋から新たな形式の仏涅槃図がもたらされ、日本の涅槃図に変化が生じました。釈尊は右を下に横たわり、右手枕(または右手を前に出す)をするようになります。枕元の沙羅双樹の枝には生前使用していた錫杖が掛けられ、布に包んだ(ぶっ)(ぱつ)(くく)りつけられています。縦長の画面が増え、下方に多種多様な動物が描かれました。

なお「釈尊の足に触れる老婆」は、鎌倉時代以降の涅槃図の特徴です。貧しい老婆が釈尊の足を()で、悲しみのあまり涙を落したので金色の肌が変色した、という小乗涅槃経の一節を反映しています。経典では老婆の行為を否定的に評価していますが、日本では好意的に受け止められたと考えられます。



⑹近世における涅槃図の変容

 ところで室町時代後期以降、釈尊の足に触れる人物が、ひげの生えた俗人男性となっている例があります。足の脈を計る医師という解釈も(ささや)かれたようです。涅槃図は尊名を記さないことが多いため、誤って伝わるケースが少なくありません。

また、沙羅の枝に掛けられた仏鉢の包みを、薬とみなす説も流布しました。江戸時代前期に出版された『(しゃ)()(はっ)(そう)物語』は、摩耶夫人が上空から薬を投げたが沙羅の枝に(さえぎ)られて届かなかった、と記しており、このエピソードは涅槃図の絵解きをする際に今日でも語られています。親子の情愛をくみとった解釈が人々の共感を得て、語り継がれたのでしょう。こうした変容は、経典からみれば誤解なのでしょうが、むしろ生きた信仰の(あかし)と言えるのかもしれません。

20260705_1PT5437.jpg

Page Top