講演会/イベント

2026/04/14

講演会レポート

【3月7日】「徳川時代の富士山図 饒舌館長ベストテン」 河野 元昭 氏(出光美術館理事)

2026年3月7日14時より、出光美術館理事 河野 元昭 氏による講演会「徳川時代の富士山図 饒舌館長ベストテン」を開催いたしました。



画像1.jpg



講演会の内容

●信仰の対象



 古代、富士山は神の山であり、信仰の対象であり、崇め仰ぎ見る崇高のシンボルでした。それは『万葉集』に採られる、山部赤人の人口に膾炙する一首「田子の浦ゆうち出でて見れば真白にぞ不尽の高嶺に雪は降りける」の前にある長歌「天地の分れし時ゆ 神さびて高く貴き 駿河なる富士の高嶺を 天の原ふり放け見れば......」によく表われています。やがて富士山には、自己の心情を投影させ、思いの丈をことよせ、感懐を吐露すべき客体という要素が加わりました。西行の「風になびく富士のけぶりの空に消えてゆくへも知らぬ我が思ひかな」に象徴されています。これが中世における富士山の基調になったといってよいでしょう。



●新しい様相



 ところが近世を迎えると、とくに江戸時代に入ると、富士山はさらに新しい様相を見せるようになりました。この名山を楽しみのための隆起したみごとな地塊と見なすようになったのです。物見遊山のごとく富士山に登り、富士山を眺めて酒宴を開きまた酒銘にし、富士山を複製芸術にして心を楽しませ、日々の生活を豊かに充実させようとしたのです。それが富士講であり、富士見酒であり、浮世絵風景版画でした。ここに江戸時代の富士山は、信仰の対象、感懐の客体、遊山の目的という三位一体が成立し、高位貴顕から衆庶までが愛して止まない時代のアイコンになったのです。

 浮世絵風景版画だけではありません。広く富士山をモチーフとする絵画芸術が興隆し、百花繚乱の時代を迎えたのは不思議でも何でもありません。しかしその基盤に、徳川幕藩体制の継続、経済の盛行、社会の安寧があったことを見逃すわけにはいきません。これを芳賀徹先生は、パクス・ロマーナ(ローマの平和)にならってパクス・トクガワーナと名づけられました。今回講演のタイトルを「江戸時代」ではなく「徳川時代の富士山図」としたのは、このような理由によるのです。



●富士山図ベストテン



 その徳川時代富士山図のなかから、僕が大好きな作品をほとんど恣意的に10点選んで、饒舌館長ベストテンと名づけました。このリストにしたがって、それぞれの美的個性と、徳川時代絵画の鳥観図をお示ししたいと思ったのです。

 その饒舌館長ベストテンとは、①狩野探幽「富士図」(静岡県立美術館)、②尾形光琳「富士三壷図屏風」(個人蔵)、③酒井抱一「富士図<絵手鑑のうち>」(静嘉堂文庫美術館)④鈴木其一「富士越龍図」(米国・インディアナポリス美術館)、⑤池大雅「夏雲霊峰・松陰観潮図屏風」(八雲本陣記念財団)、⑥与謝蕪村「富嶽列松図」(愛知県立美術館<木村定三コレクション>)⑦谷文晁「富士山図屏風」(静岡県立美術館)、⑧曽我蕭白「富士三保松原図屏風」(MIHO MUSEUM)、⑨小田野直武「富嶽図」(秋田県立近代美術館)、⑩葛飾北斎「冨嶽三十六景」<凱風快晴 山下白雨 神奈川沖浪裏>です。これらに何点かの比較すべき作品を添えましたが、番外として笹島喜平の「精進湖の富士」(半蔵門ミュージアム)を加えました。

画像2.jpg

 それぞれの作品について、鑑賞の参考になると思われる簡単な参考資料を作り配布いたしました。その要点を一句にまとめれば、①雪月花をイメージした江戸狩野創始者による新やまと絵の富士、②東下りで見た実景を反映する琳派の富士、③瀟洒にして表現主義的な江戸琳派の富士、④妖雲表現ともいうべき琳派奇想派の富士、⑤早熟の天才・陽光の画家による文人画大作屏風の富士、⑥晩成の天才・微光感覚の画家による三大横物の俳諧的文人画の富士、⑦富士の画家とたたえられる巨匠による関東文人画の富士、⑧奇想派のチャンピオンともいうべき画家によるエキセントリックな富士、⑨秋田蘭画を象徴する洋風表現の富士、⑩富士図の真打ともいうべき浮世絵師による世界に冠たる傑作富士ということになるでしょう。



●饒舌館長ブログ



 まさに徳川文化の最高峰とたたえられるべき視覚的イメージが、ここに結集し覇を競っている感があります。これを許された時間のなかで解説、いや、<饒舌>いたしましたが、詳しくは配布資料と僕の「饒舌館長ブログ」を見ていただきたいと存じます。最後に「精進湖の富士」を番外としてあげたのは、今回半蔵門ミュージアムで「富士山 花と雲と湖と」展を拝見し、作者の笹島喜平という版画家をはじめて知ったからです。心を深く動かされたからです。伊藤若冲が得意とした拓版画の技法によりつつも、独自の力強いモノクローム世界を創造したのが笹島喜平なのだと思います。この現代版画家に心からのオマージュを捧げ、これをもって〆といたしました。



画像3.jpg

Page Top