講演会/イベント

2025/02/23

講演会レポート

【2月23日】「平山郁夫の仏教画―仏教伝来・仏伝シリーズ・想一想―」 大塚 裕一氏

2025年2月23日14時より、平山郁夫シルクロード美術館 学芸室長の大塚裕一氏による講演会「平山郁夫の仏教画―仏教伝来・仏伝シリーズ・想一想―」を開催いたしました。

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講演会の内容

●平山郁夫の仏教画以前-幼少期から青年期-

 平山郁夫は、1930(昭和5)年6月15日、広島県豊田郡瀬戸田(せとだ)町(現 尾道市瀬戸田町)に生まれました。仏教に篤く信仰する父の下で育ったこともあり、幼少期から仏教に馴染みがありました。1945(昭和20)年8月6日、15歳の時に陸軍兵器補給厰(ほきゅうしょう)材木貯蔵所で被爆しますが、一命を取り留めます。終戦後は、疎開先で大伯父である清水南山(なんざん)(東京美術学校彫金科教授)と出会い、彼によって絵の才能を見出され、東京美術学校(以下、美校)の受験を勧められます。16歳という若さで美校を受験した結果、見事に合格。入学以降は同級生の小泉淳作をはじめ、後に妻となる松山美知子と共に日本画の研鑽を積んでいきますが、描く対象に悩み退学を考えます。当時は「日本画滅亡論」が唱えられていた時期でもあり、このことが描く対象を悩ませる要因にもなっていました。そのような中、美術史家の谷信一は絵の道を続けるよう諭し、平山もその言葉を信じながら日本画を続けていきます。1949(昭和24)年には生涯の師となる前田青邨(せいそん)と出会い、美校卒業後は彼の副手を務めながら作品を描いていきますが、未だ描く対象に悩む平山は故郷の家族や瀬戸田町の風景をはじめ、全国各地を巡ってスケッチを行い、描く題材を模索していました。

●平山郁夫の仏教画 1 -《仏教伝来》-

 平山は未だ描く対象が見つからないまま、1959(昭和34)年、被爆の後遺症(白血球の減少)にみまわれ、肉体的にも精神的にも追い込まれていました。そうした中、東京オリンピックの聖火ランナーの記事を読み、ふと中国・唐代の玄奘(げんじょう)の歩んだ道を思い出します。美校時代から古典や歴史の学びも欠かさず行っていた平山は、これを機に玄奘をモデルに一つの仏教画を創作していきます。それはままならない身体や画業の思いを玄奘に託し、彼の艱難辛苦の旅をまるで明るい希望を注ぐかのようにして幻想的に描かれた作品は、自身も納得のいく精神性の高い一枚となりました。その作品は《仏教伝来》(佐久市立近代美術館蔵)と名付けられ、当時の美術評論家・河北倫明からも好意的な評価を得ることができ、画業における転機となりました。平山がこのような作品を描けたのは、突然の閃きではなく、それまで幻想的な習作《動物幻想》を描き、また西洋画の古典学習(中世フランスのタペストリー)の成果なども活かしながら出来上がったものと考えられます。

●平山郁夫の仏教画 2 -「仏伝シリーズ」-

 《仏教伝来》を発表して以降、平山は次なるテーマを仏教に定め、釈迦の生涯である「仏伝」を範にして、自身の経験や実感なども取り入れながら描きました。その最初となる作品《入涅槃幻想(にゅうねはんげんそう)》(東京国立近代美術館蔵)は、「涅槃」をモチーフに義父・松山常次郎が亡くなった際に感じた、やすらぎのある死のイメージを幻想的に描いたものです。ここでは死の悲しみを越えた明るさが見てとれ、それはまるで《仏教伝来》の作風と通じるところがあり、特にそのことを感じさせるのは白い鳩たちです。まるで亡くなった釈迦(仏陀)を讃嘆するように描かれ、それは画家なりの義父に対する人生の充足感を祝う表現でもありました。

 その後、平山は自身の長女が誕生した際に「托胎霊夢(たくたいれいむ)」を範にして描いた《受胎霊夢》(広島県立美術館蔵)をはじめ、釈迦の復活劇を描いた《出現》(佐久市立近代美術館蔵)など幾つかの仏伝シリーズを発表し、若き日本画家として頭角を現わします。

 1962(昭和37)年、平山はユネスコフェローシップの試験を受けて合格し、32歳の時に欧州へ向けて短期留学に出ます。自身にとって初めての海外であり、画家自身も「東西宗教美術の比較」という研究テーマを持って、イタリア・イギリス・オランダ・ドイツ・フランスなどの美術を学びました。留学中はヨーロッパ文化の圧倒的な分厚さを感じる日々で、この経験から改めて画業について考えることになり、それでも平山は仏教や仏伝シリーズを描いていくことを強く決意しました。帰国後、「降魔成道(ごうまじょうどう)」に範をとって、釈迦が悟りを開く瞬間を描いた《建立金剛心図》(東京国立近代美術館蔵)を発表。この作品で描かれる釈迦(仏陀)は仏教をテーマに描いていく強い決意をした自身であり、四方から攻め入る魔衆はヨーロッパ美術や文化。こうした海外留学での経験と決意が一つの仏伝シリーズを誕生させました。

●平山郁夫の仏教画 3 -《想一想》-

 平山は海外留学を経た後、1967(昭和42)年、法隆寺金堂壁画の再現事業に携わり、第3号壁を担当しました。当時この壁画の源流は、美術史研究においてバーミヤーン石窟(アフガニスタン)であると言われていました。翌年、平山はそれを確かめるべく妻と共に中央アジアの取材に出ました。この旅は自身にとっても、夫妻にとっても初めてのシルクロードの旅であり、当時交流のあった京都大学の樋口隆康の助言もあって、バーミヤーン石窟をはじめとした数々の歴史遺産に触れることができました。この取材後、平山は自身のテーマである仏教の道を更に深めるべく、初のインド取材を行います。この時の感動が《太子出城(たいししゅつじょう)》(平山郁夫シルクロード美術館蔵)・《捨宮出家図(しゃきゅうしゅっけず)》などの仏伝シリーズの作品となっていきました。またこの頃からシルクロードの美術品を入手する中で、それらの研究とインドでの取材の成果が交わり、《想一想(そういっそう)》(半蔵門ミュージアム蔵)という作品が出来上がったと考えられます。この作品は釈迦が悟りを得て仏陀となった姿を描いたもので、平山の仏伝シリーズにおいては《建立金剛心図》に続く作品でもあります。何度か取材で訪れたブッダガヤでの度重なる大きな感動と、現地で釈迦(仏陀)を思いながら感得した気持ちが、平山に筆をとらせてこの作品は完成しました。1979(昭和54)年の春の院展に出品された《想一想》は、半蔵門ミュージアムの特集展示「平山郁夫《想一想》と昭和期の日本画家たち」において、2025年3月30日(日)まで見ることができます。

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