講演会/イベント

2024/06/29

講演会レポート

【6月29日】「仏像修理の技と心」 明珍 素也氏

2024年6月29日14時より、株式会社明古堂代表取締役、武蔵野美術大学客員教授の明珍素也氏による講演会「仏像修理の技と心」を開催いたしました。

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講演会の内容

●仏像修理にかかわるキーワード

 真如苑真澄寺所蔵の如意輪観音菩薩坐像はカヤ材の一木造りです。同所蔵の二童子像はヒノキ材で、割矧(わりは)ぎ造りです。割矧ぎは、木目に沿って割放ち、内刳(うちぐ)りしたのちに再接合することです。内刳りとは仏像の内側を空洞にすることですが、これにより軽量化や干割れの防ぎ、墨書銘を記すことや、密閉空間へは納入品をおさめることができます。

 仏像を荘厳する際に、漆箔(しっぱく)や彩色があります。漆箔は金色相をあらわすための技法で、漆下地を地固めしてから麻布を貼り、錆漆(さびうるし)と黒漆を重ね、その上に金箔を押すことで金色像になります。彩色は着彩されている仏像で、下地は漆箔と同工程ですが、白色顔料、金泥(きんでい)・切金(きりかね)・彩色で仕上げます。

 修理作業には、麦漆木屎漆(こくそうるし)、錆漆を用います。仏像の表面を荘厳する漆箔や彩色層は彫刻面より浮き上がり、間隙が生じることがあるため、そのような漆箔層などの剝落(はくらく)止めを行います。

 文化財を修理する上で、《1. 現状を保存する処置を最優先とし、文化財を後世に受け継ぐ。》《2. 修理前の綿密な調査と修理方針の立案。》《3. 荘厳の安定化と構造体の補強が保存修理の重点項目。》《4. 修理報告書の作成。》という手順を心掛けています。

 如意輪観音像と二童子像は、足掛け4年にわたる修理を行いました。所蔵者と学識経験者、そして私たち技術者の三者で度重なる検討会を実施してきました。

●如意輪観音菩薩坐像

 修理前と修理後を比較すると、お顔と台座の変わったことが一目でわかると思います。

 まず台座からお話しますと、台座は像が造られた当時ではなく、江戸時代のものです。光背はさらに新しい時代のものでした。本体の左手は光明山(こうみょうせん)とそれをおさえている手首が一体で造られています。しかし、後補の台座によって隠されてしまっていました。また、非常にタイトに台座が造られていたため、像を少し動かすだけで台座と触れ合ってしまい、損傷の危険も伴う状態でした。そこで、新しくシンプルな台座を造る計画を立てたのです。後補の台座も、これ以上傷まないような処置を施しています。

 ほとんどの仏像は現代までに何回も修復され伝わっています。この像の場合、木屎漆が厚く盛られており、それを除去していきました。取り外すと、もともとの造形があらわれ、スッキリとした像になりました。台座はシンプルな方が、展示空間の中で像は引き立つと考えられます。

 最も手が加えられていたのは面部でした。木屎漆を取ってしまうと、ほとんど形が残っていないという場合もあります。そこで、Ⅹ線CT撮影を東京国立博物館協力のもとで実施したところ、下層部分にはしっかりとした目鼻立ちがあることが判明したのです。

 さらに、その撮影により、髪の毛を結い上げた髻(もとどり)の中に納入品があるとわかりました。小さな容器があり、内部から小さな球体があらわれたのです。あらかじめ予測はしていても、実際の開封作業ではとても驚きました。容器の直径は7㎜、舎利の直径は1.5㎜ほどです。

●二童子像

 修理前と修理後の写真を見比べて、形や表面はあまり変わらないように見えるかもしれません。もともとは豪華な彩色像であったと思われますが、経年による汚れのために黒くなっていましたので、クリーニングを行っています。また、安定して立たせることが重要でした。足先等は後補に変わっていましたので、作り変える方針となりました。

 錆漆や彩色・切金などで荘厳されていますが、そうした荘厳の剥落止めが必須です。赤外線で撮影すると、造られた当時の切金が多く残っていることが判明しました。復帰できない脱落片をサンプルとして活用し、科学分析などを実施すると、いろいろな情報を得ることも可能です。

●技と心

 仏像修理の技法は、それぞれの状況や環境により異なります。常に仏像へ寄り添う心をもって、修理方針を立てています。もちろん技術がないと確実な修理をすることはできません。技と心、そのどちらも欠けてはいけないと考えています。

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