講演会/イベント

2021/10/17

講演会レポート

【10月17日】「みほとけの姿 その心と形」 館長 西山 厚

2021年10月17日14時より、半蔵門ミュージアム館長 西山厚の講演会『みほとけの姿 その心と形』をオンラインで開催いたしました。

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講演会の内容

●鑑真が出会った仏像

 奈良時代に苦労の末に日本にやって来た鑑真和上。鑑真はなぜお坊さんになったのでしょうか?14歳で父親に連れられて地元揚州の大雲寺に行った時、仏像を見て感動したからでした。それはどのような仏像だったのでしょうか?

 ところで、お釈迦さまにしばらく会えなくなるのを悲しんだ優塡王(うでんおう)がお釈迦さまの像を造ったのが最初の仏像という話があります。お釈迦さまは「私がいなくなったあと、この像が私に代わって大きな働きをするだろう」と語ったそうです。仏像がもつ不思議な力の存在を感じさせてくれます。

 やがて、その像は、鳩摩羅炎(くまらえん)鳩摩羅什(くまらじゅう)親子によって中国へもたらされました。鑑真が出会って感動したのはその釈迦如来像でした。京都清凉寺の本尊釈迦如来像は、鑑真が拝した仏像を模刻したもので、螺髪(らほつ)ではなく、縄を巻いたような髪型で、両肩をおおう衣の着方が特徴です。

●如来・菩薩・天

 みほとけには、如来・菩薩・天・明王の4種類があります。如来は悟りを開いたお釈迦さま、菩薩は悟りを開く前のお釈迦さまがモデルになっています。やがて、如来は「悟りを開いて真理の世界に住むみほとけ」、菩薩は「この世界で人々を救うみほとけ」へと、意味合いが広がっていきました。

 お母さんの右わき腹から生まれたお釈迦さまを抱き止めたのは帝釈天(ターバンと首飾りをつける)でした。悟りを開いたお釈迦さまに説法をうながしたのは梵天でした。天は、仏教世界を守る神様です。

 四天王はそれぞれが護る方位や色が決まっています。持国天は東で青、増長天は南で朱、広目天は西で白、多聞天は北で玄(くろ)。多聞天は、ひとりで活動する時には、毘沙門天と呼ばれます。

●密教と明王

 お釈迦さまは、生きることは苦しみであると考えておられました。そして、苦しみの原因は煩悩であるとして、煩悩を鎮める道を教えました。このように仏教は禁欲的な教えで、呪術を否定しました。

 お釈迦さまの時代から1,000年が過ぎると、仏教は大きく変化しました。苦しみの原因は願いが叶えられないことにあるのだから、願いを叶えよう、その方法があるという考えが生まれたのです。これが密教です。密教では、修行者が、手に印を結ぶ「身密(しんみつ)」、口に真言を唱える「口密(くみつ)」、心に本尊を観ずる「意密(いみつ)」によって、仏の力を受け止め、仏と一体になることをめざします。

 明王は、この密教のみほとけです。顔や手や眼が多く、忿怒(ふんぬ/怒っている)の姿をとり、強い力をもっています。

●さまざまな仏

 観音菩薩は、人々の多種・多様・多数の願いに応じて姿を変え、衆生を救います。すべての方向に顔を向けており、苦しみ悩み悲しむ人の声を自在に観じることができます。地蔵菩薩は右手に錫杖(しゃくじょう)、左手に宝珠(ほうじゅ)を持つのが一般的ですが、古い地蔵菩薩は錫杖を持っていません。

 像内にさまざまなものを納めている仏像もあります。運慶や快慶が造った仏像の納入品は、作り物である仏像を聖なるみほとけに変える力があったと考えられます。

 訶梨帝母(かりていも)は、インドでは多産・豊穣の女神ですが、日本では母と子の深い情愛を示すみほとけに変わっていったように思われます。時代によって、地域によって、みほとけへの信仰内容は変化し、その姿も変化していきます。

●みほとけの姿

 仏像は経典や儀軌(ぎき)に基づいて造られるので、基本形は決まっています。しかし、注文制作なので、注文主の思いが仏像の形に反映されることもあります。また仏像を造る仏師がめざしている世界が反映されることもあります。そのようにして、みほとけの姿は目に見える形となっていくのです。

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