講演会/イベント
2020/12/06
講演会レポート
【12月6日】「地蔵菩薩 その信仰と美術」 館長 西山 厚
2020年12月6日、半蔵門ミュージアムでは初めてのオンライン講演会を実施しました。講師は半蔵門ミュージアム館長 西山厚で、講題は「地蔵菩薩 その信仰と美術」でした。
講演会の内容
●半蔵門ミュージアム所蔵の「地蔵菩薩像」
鎌倉時代の「覚禅抄(かくぜんしょう)」には、地蔵菩薩について「内に菩薩の行を秘め、外に比丘(びく)の相(すがた)を現す」と記されています。おでこに白毫(びゃくごう)があり、右手に錫杖(しゃくじょう)、左手には宝珠(ほうじゅ)を持ち、蓮台の上に立っていることも、地蔵菩薩の特徴です。
半蔵門ミュージアムの「地蔵菩薩像」も基本は同じ姿ですが、雲に乗っています。これは我々のところに来迎(らいごう)してくる姿です。また、左右の足はそれぞれ別の蓮の花に立っていることがわかります。これは踏割蓮華(ふみわりれんげ)といい、とても活動的な様子が伝わります。さらに、錫杖を持つ右手の先が下に向いているのも興味深い点です。
●「無仏の導師」
阿弥陀如来は極楽浄土から来迎するとされていますが、地蔵菩薩はどこから現れるのでしょうか。お釈迦様が亡くなって、弥勒如来が現れるまでは「無仏の時代」(如来がいない時代)とされ、その「無仏の時代」に現れて、六道を輪廻(りんね)する衆生(しゅじょう)を救うのが地蔵菩薩です。「沙石集(しゃせきしゅう)」には「無仏の導師」と記されています。六道とは天・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄のことで、地蔵菩薩はとくに「悪趣(あくしゅ)」の畜生・餓鬼・地獄にいる人々、とりわけ地獄の人々を救ってくれる仏として信仰されていました。
●「抜苦与楽」
地蔵菩薩について、日本における文献上の初見は東大寺の講堂にあったもので、中央には聖武天皇が造らせた千手観音、その左右に光明皇后が造らせた虚空蔵菩薩と地蔵菩薩が安置されていました。そして平安時代になり、9世紀から10世紀にかけて造立がさかんとなりました。経典には地蔵菩薩が錫杖を持っているとは書かれていませんが、10世紀半ば頃から錫杖を持つ地蔵菩薩像がつくられていきます。
地蔵菩薩は人々の「抜苦与楽(ばっくよらく)」(苦を抜き、楽を与える)をしてくれると信じられました。また、地獄にいる人々を救いますので、地蔵菩薩は閻魔王と仲良しなのではないかと思うほどです。実は同体説もあります。
●地蔵信仰の広がり
六地蔵信仰というのがありますが、これは六道それぞれに地蔵菩薩がおり、すべての人々を救ってくれるという信仰です。12世紀の「今昔物語集」には、地獄に堕ちた人々を助けてくれる「代受苦(だいじゅく)」の説話が収められています。また、安産祈願などの新たな地蔵信仰も生まれてきます。
神仏習合の点でいうと、春日大社の祭神の本地仏のひとりが地蔵菩薩です。春日地蔵曼荼羅は、春日から雲に乗ってやって来る地蔵菩薩を描いており、踏割蓮華に乗っています。
さらに、地蔵菩薩は亡くなった子どもたちを優しく見守ってくれる仏としても信仰されるようになります。十字路や三叉路などの路傍(ろぼう)に立っていることも多く、そこは異界への入口や霊の集まるところとも考えられているので、現世においても道ばたで遊んでいる子どもたちを見守ってくれる存在なのです。