講演会/イベント
2020/01/25
講演会レポート
【1月25日】「正倉院の楽器と聖武天皇・光明皇后」 館長 西山 厚
2020年1月25日14時より、半蔵門ミュージアム館長 西山厚の講演会『正倉院の楽器と聖武天皇・光明皇后』を開催いたしました。
講演会の内容
1.華厳経を大切にした聖武天皇と、東大寺の大仏
東大寺の大仏の本当の名前は盧舎那仏(るしゃなぶつ)といい、華厳経をもとに造られています。華厳とは「華」=花で、「厳」=飾るという意味です。私たちがよいおこないをすると、それは小さな花となって世界を美しく飾るそうです。華厳経は「この世界に存在するあらゆるものは、すべて等しく尊い」という究極の平等思想を説いています。盧舎那仏(毘盧遮那仏)はヴァイローチャナの音訳で、光の仏、太陽のような仏、という意味です。聖武天皇は、太陽のようにすべての存在に等しく明かりと温もりをくれる仏を造ろうとしたのです。
聖武天皇は、華厳経が最高の経典と考えていました。大仏造立の詔に「動植ことごとく栄えんとす」とあるように、聖武天皇はすべての動物・植物がともに栄える世の中をつくりたいと願っていました。これは華厳経の教えにもとづいています。そして、大きな力やたくさんの富ではなく、小さな力をたくさん集めて大仏を造ろうとしました。記録には、当時の人口の約半数の260万人が造立に関わったとあります。
聖武天皇と光明皇后の間には、最初に女の子、次に男の子が生まれました。しかし、皇子は満一歳を迎えることなく亡くなりました。皇子の冥福を祈り、聖武天皇は山の中にお寺を建てました。これがのちに発展して東大寺になります。わが子の死、旱魃飢饉、大地震、天然痘の大流行など、打ち続く災難のなかで、聖武天皇は「責めは我一人にあり」と苦しみ、その苦しみの中から大仏は誕生します。
2.大仏開眼供養会
752(天平勝宝4)年4月9日に大仏の開眼供養会がおこなわれました。開眼とは魂を入れる儀式です。これは国家をあげての一大行事で、一万人の僧侶が法要をおこない、さまざまな歌舞・楽舞が上演されました。それらは雅楽寮(うたまいのつかさ、ががくりょう)に属する舞人楽人などによるもので、大歌・大御舞・久米舞など日本古来の歌舞や、海外から伝わった唐楽・高麗楽(こまがく)・林邑楽(りんゆうがく)・伎楽(くれがく)などが、大仏の前で次々に演じられました。平安時代には、日本古来の歌舞を司る大歌所(おおうたどころ)、外来の楽舞を司る楽所(がくそ)が生まれ、制度が整備されていきます。聖武天皇は、大仏開眼供養会の4年後に56歳で亡くなりました。
3. 正倉院とは
正倉院の内部は、3つの部屋(蔵)に分かれています。北倉(ほくそう)には聖武天皇が大切にしていた遺愛の品が納められています。これは光明皇后が献納しました。中倉(ちゅうそう)には、光明皇后以外の人が献納した宝物や、役所の事務書類などが納められています。南倉(なんそう)には東大寺の宝物が納められています。
聖武天皇の遺品目録である「国家珍宝帳」には、北倉に納められたすべての宝物の名前が記されています。なぜ光明皇后は、それらの品々を一点も自分の手元に残さなかったのでしょうか。「国家珍宝帳」の最後に、光明皇后は「触目崩摧=(遺品が)目に触れると(心が)崩(くず)れ摧(くだ)けてしまう」と記しています。悲しみに耐えきれず、光明皇后は、すべての遺品を大仏に献納し、あわせて聖武天皇の冥福を祈ったのでした。北倉の宝物は、光明皇后の悲しみの産物なのです。
4. 正倉院の楽器
「国家珍宝帳」によれば、聖武天皇の手元にあった楽器は、和琴(わごん)・琴(きん)・琵琶(びわ)、五絃琵琶(ごげんびわ)・阮咸(げんかん)・筝(そう)・瑟(しつ)・簫(排簫)(しょう・はいしょう)・笙(しょう)・竽(う)・尺八・横笛(おうてき)・新羅琴(しらぎごと)の13種でした。打楽器はありません。奈良時代にまとめられた西大寺の資財帳には「唐楽器」として、箜篌(くご)・琵琶・箏・方響(ほうきょう)・笙・横笛・尺八・大篳篥(おおひちりき)・小篳篥・銅鈸子(どうばっし)の名がみえており、奈良時代にはお寺がたくさんの楽器を持っていたことがわかります。これは仏に音楽を奉納するためでした。東大寺がもっていた楽器も、正倉院の南倉に納められています。
※(このあと西山館長は、正倉院に伝わる個々の楽器について解説しました。その中からいくつかを採録します)
〇五絃琵琶はインドで生まれた楽器で、世界で唯一正倉院に残っています。正倉院の楽器には、その楽器を演奏している様子が表わされていることが多く、この「楽器のなかの楽器」を見つけるのも正倉院展の楽しみのひとつです。
〇新羅琴は12絃で底板を張らないところが日本の琴とは異なります。正倉院の北倉に伝わる新羅琴は聖武天皇の手元にあったものではありません。貸し出したところ、違うものが返納されたのです。かつては、そんなことが許されていました。
〇箜篌は私の大好きな楽器です。西洋のハープに似ていますが、まったく異なります。箜篌は法華経や涅槃経などの経典のなかにも登場し、素晴らしい音色で知られていました。(風が吹いた時など)人が弾かないのに鳴る時の音が一番美しいと言われており、私はそれを聴いたことがあります。
〇現在、半蔵門ミュージアムの展示室に、阿弥陀来迎図が懸けられています。阿弥陀仏が浄土から迎えに来てくださる時に、楽器を演奏する菩薩たちが同行している様子が描かれています。
5. 平安時代になって
平安時代になると、雅楽の改作や新作がさかんにおこなわれるようになりました。「管絃(かんげん)」という舞を伴わない器楽の合奏も成立しました。使われる楽器も整理されました。低音を奏でる竽(大型の笙)や大篳篥、調律が難しい箜篌は使われなくなり、五絃琵琶や方響も姿を消しました。
しかし、正倉院には、竽も箜篌も五絃琵琶も方響も伝えられています。これらの楽器を復元して演奏したらどうなるでしょうか。失われた楽器、失われた音、失われた古代の音楽をよみがえらせる取り組みが始まっており、真如苑もいくつかの楽器を復元製作して演奏しました。現在、それらの楽器は、半蔵門ミュージアムで開催中の特集展示「復元された古代の音」で展示されていますので、その姿と音を楽しんでいただきたいと思います。