講演会/イベント
2018/05/27
講演会レポート
【5月27日】「半蔵門ミュージアムの大日如来と不動明王」 水野 敬三郎氏
テーマ『半蔵門ミュージアムの大日如来と不動明王』
5月27日、半蔵門ミュージアム3階ホールにて、水野敬三郎館長による開館記念特別講演会
『半蔵門ミュージアムの大日如来と不動明王』を開催いたしました。当日は、会場いっぱいと
なる約80名の方が聴講に来られ、約1時間半、熱心にメモを取られる姿が印象的でした。
講演会の内容
●半蔵門ミュージアムの不動明王について ~仏像の体型と不動明王の由縁~
仏像の体型
飛鳥・奈良時代の仏像は、中国大陸や朝鮮半島の影響を強く受けていましたが、平安時代後期、仏師定朝により、穏やかでやさしい日本的な仏像(和様彫刻)が完成しました。定朝様式は胸が前に張り出した奈良時代の仏像と違って、平等院鳳凰堂 阿弥陀如来像(1053年定朝作)のように、胸が薄く、腹が前に出ている体型に特徴があります。
半蔵門ミュージアムの不動明王
不動明王は、大日如来の使者とも、大日如来の変化した姿とも説かれます。当館の不動明王は、両目を見開き、口を一文字にした、古い形の不動明王で、定朝様式の体型から平安時代末の作とわかります。台座の義演自筆の銘(1606年)に、醍醐寺普門院の本尊だったのを、大仏師康正に修理させ、光背・台座を新らしく造らせたとあります。義演は、豊臣秀吉が「醍醐の花見」を行った時の座主で、この仏像は秀吉と義演に縁のある貴重な像といえます。
●半蔵門ミュージアムの大日如来について ~運慶作品の特徴と照合~
運慶作品の特徴
定朝以後、仏師は円派・院派・奈良仏師の三つの派に分かれました。運慶は奈良仏師の系統です。奈良仏師は、玉眼という、仏像の目の部分を刳り抜き、内側から水晶のレンズをあてて、本当の人間の目のように光らせる技法を使い始めました。運慶も早くからこの技法を使っています。運慶がつくり出した写実と力強さを特色とした作風は、東国の武士に喜んで受け入れられました。
運慶作品の銘文と納入品
運慶青年期の作である円成寺大日如来像(1176年)の台座の銘は作者が仏像に署名をした最初の例で、運慶の強い自己主張を感じさせます。運慶が北条時政のために造った願成就院の不動明王・毘沙門天像の中に、五輪塔形の木札(銘札)が入っており、そこに心月輪がつけられ、仏舎利が籠められていました。心月輪とは、密教で菩提心を満月に例えたもので、舎利と共に仏像の魂を籠めた意味があります。以後の運慶作品の多くにはこの種の納入品が見られます。
半蔵門ミュージアムの大日如来
大日如来は密教の中心尊格で、金剛界曼荼羅、胎蔵界曼荼羅の中心にも描かれます。当館の大日如来は智拳印を結ぶ金剛界の大日如来です。源頼朝と姻戚関係にある足利義兼が願主となり、足利の鑁阿寺(奥院樺崎寺)に1193年に造った仏像と推定され、作風や納入品の特徴から運慶作と考えられます。X線とボア・スコープにより、心月輪、舎利を入れた五輪塔、鮮かに彩色された五輪塔形木札が納入され、底板で密閉された像内は金箔で荘厳されていることが判明しました。その鄭重な納入の仕方に運慶の真摯な信仰者としての工夫がうかがわれます。